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□昔話
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「タクト、帰ろう」
「そうだね。じゃあ皆、今日もお疲れ様」

オーケストラのメンバーは皆、じゃあな、また明日、などと口々に言った。
タクトと呼ばれる青年の本当の名前を、隣を歩く少女は知らなかった。
オーケストラのメンバーもタクトと呼ぶし、本人からもタクトと呼んでくれと言われているからだ。
タクトは指揮者だった。
そして、その名の通り、タクト(指揮棒)を自由自在に操った。
帰り道、少女は青年の傷だらけの腕を見つめて言った。

「…今日は疲れてるだろうし、ワインはいいよ」
「僕は大丈夫だから、我慢しなくていい」

ありがとう、と少女は歳相応の笑顔を見せた。
どういたしまして、と青年は微笑んだ。



「タクトが、病気?」
「もう助からないらしい。長くないって言われたよ」

タクトの家は狭かった。
貧しくて、ご飯も粗末だった。
でも、彼の音楽は素晴らしかった。

「オーケストラの皆のこと、頼むよ」
「…うん」
「また、逢えたら、その時もこうやって傍にいてほしい。君は僕のことが分かるだろうから。」
「今度逢えるのは、何年後?」
「わからない。けれど、絶対に逢えるよ」
「約束だよ」

弱々しく笑った彼はそのまま眠りについた。
家に残ったのは、ピアノ一台と彼の亡骸、そして赤い目をした少女だけだった。



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