師匠とつれと。

□師匠とつれと。
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「何してるんですか、師匠」


某国、某立派な建物。

深い藍色の着流しを着た背の高い黒髪の男が、
縄で縛られているブロンドの髪を持つ男に尋ねた。


「あ、あはは……」


照れたような、困ったような、
引きつったような、複雑な笑みを浮かべ、
ブロンドの髪の男は小さく声を漏らした。

















「まったく、いい加減にしてください、師匠」


同国、某食事処。

藍色の着流しの男は、溜め息とともに言った。

長い黒髪を高めの位置で結い上げた彼は、
高い身長も相まって歳の割に大人びており、
とても10代だとは思えない。

道行く女性の多くが振り向くほどの精悍な顔立ちは、
溜め息を吐いた今現在でも崩れることはない。

固定された表情の所為で、
女性が集まっても特別、何か噂が立つこともないのが残念だ。

が、本人はさして気にしていない様子。


「いい加減にするのはお前の方だろう」


青年に答えるのは、“師匠”と呼ばれる、
先程まで縄に縛られていたブロンド髪の男。

青年とは正反対に、表情豊かな顔は幼さが全面に出ている。

しかし、それに隠れて時折見せる真剣な瞳は、
彼の実年齢が本当は高いことを知らせる。

服装も青年とは全く異なり、
紺色のジャケットにベージュのズボンを合わせている。


男はエメラルドの瞳を輝かせ、



「女露天を覗くのは旅の醍醐味だろう?」


青年の顔を覗き込みながら言った。


「だから、いちいち俺が捕まる度に説教かますのはやめてくれ」


にっこり、と笑った男に、
青年は少々眉を寄せる。


「その醍醐味というのが私には分かりません」

「分からないのか。可哀想な奴め」


男はこの国の名物料理だと紹介された、
何だかよく分からない料理を食べながら続ける。


「いいか、よく聞け。女露天とは何だ」


青年はこの国の郷土料理だと紹介された、
魚介がふんだんに使用されたパスタ料理を食べる手を止め、答える。


「屋外公衆浴場ですね。女性用の。
 そのくらい分かります。
 それを覗くから捕まるんです」

「最後の半分は言わなくてよろしい。
 ―――で、その女性用の屋外公衆浴場を覗くと何が見える?」

「何が? んー……」


天井を見上げ、青年は考える。

やがて、真剣な瞳をして言った。


「現実、ですか」

「ぶっ」


青年の答えに、
男が飲んでいた果物を絞って作った飲み物を吹き出す。

正面に座っていた青年にかかった。


「……汚いです、師匠」

「ケホケホ……。悪い。
 お前があまりにも変なことを言うから」

「変なこと、言いましたか」


かかった飲み物を丁寧に拭きながら、青年は尋ねた。


「あぁ、言ったさ。
 なぜ露天を覗いて現実を見るんだ」

「毎回毎回、地方警察に捕まって現実を見るでしょう?」


表情を浮かべずに青年は男に言った。

男は溜め息を吐いて、


「見えるものは女の裸だろう」


やれやれ、と首を振った。


「楽しいのですか」

「普段は見れないものが見れるんだ、
 楽しくないわけがないだろう」


青年は数度瞬きし、


「女の裸を見ると楽しくなるんですか」


表情を変えずに口を開いた。


「ん? んー、楽しいというか、興奮するんだな」


料理をスプーンで口に運びながら、男は言った。

ゆっくりと租借し、飲み込む。

男はニヤリ、と笑って青年に問う。


「なんだ、興味があるのか」


男よりも早く食事を終えた青年は、
ゆるゆると首を左右に振った。


「師匠が実に楽しそうにお話なさるので。
 私は興味ありません」


そう言うと、アイスコーヒーに手を伸ばした。


「お前はな、もう少し世界に目を向けるべきだ」


ストローでグラスの中の氷を沈めて遊んでいた青年は、
男の言葉に顔を上げる。


「あぁ、お前今日、俺の目を初めて見たな」


男は嬉しそうにエメラルドの瞳を細めた。


「迎えに来たときも目が合わなかった。
 話をするときは相手の目を見るんだ」

「見てました」

「見ていないだろう。顔だけこちらを向いて。
 心ここにあらず。
 それは見てるとは言わない」


青年は漆黒の瞳で男を見る。


「いいか、お前はこの世界に生きているのに、
 世界のことをまるで見ちゃいない」

「…………」

「お前を連れて旅をして何年になる?
 お前は俺とたくさんの国を回った。
 たくさんの人と出会った。
 覚えているか?
 3年前に、行き倒れたことがあっただろう。
 その時助けてくれた人のことを」


青年は答えない。


「忘れたのか」

「わ、忘れてないです……よ」


強められた口調に、青年は言った。


「なら、名前を言ってみろ」

「な、名前……」

「名前だ。名乗っただろう、お互いに。
 知っているはずだ。俺は知っているからな」


青年は目線を男からアイスコーヒーへと落とし、


「………な、ナンシー…?」


小さく呟いた。


「違う」

「泉城……」

「違う」

「若……葉」

「違う。クリスメアだ。性別は分かるか」

「………女性」

「違う。炭鉱で働く男だ」


はぁ、と男は溜め息を吐いた。


「お前は何も分かっちゃいない。見ちゃいない。
 しっかりと見ろ、聞け、感じろ、
 そして分かれ。心で、だ。
 そうしたら、忘れない」

「…………」

「考えるんだ、自分で。疑問を持つことは大切だ。
 ――――どうして、分からない?
 俺が言っていることは理解しているのか?
 お前は本当にそこにいるのか?
 朝起きたら、お前は消えてるんじゃないか? この旅は夢の話なんじゃないか?
 お前は、この世界の人間じゃないんじゃないか?
 ――――俺はいつも、そういう問いに付きまとわれているが、どうなんだ。
 お前は生きているのか」

「………私はここにいます」


青年は顔を上げて、エメラルドの瞳を見る。


「私は生きています」

「そうだ。お前はここで生きてる。
 当然のことだ。
 だがな、俺はそう思わずにはいられないんだ。
 なぜだか、分かるか」


男の問いに、青年は首を左右に振った。


「お前が世界を見ていないからだ。
 興味を持たないからだ」

「仕方ないです。興味がないんです」


「“興味がない”」


男は青年に人差し指を向ける。


「お前はよく“興味がない”と言うな。
 そんなもの、子供の食わず嫌いと同じだ」

「…………」

「お前が言う“興味がない”ものについて、お前は何か知っているのか?
 知った上で“興味がない”と言っているのか?
 違うだろ。
 お前はそのものを何も知らずに“興味がない”と言う」


青年の瞳は男の瞳を捉えたまま動かない。


「“興味がない”と言っていたものを
 渋々知ってみたら、興味が湧くもしれないだろ。
 ちょうど、子供が食わず嫌いだった食物を食べてみたら、実は好きだったみたいに。
 なぜお前はそれをしない?」

「………怖いんです。知ることが」


無表情のまま、青年は答える。

瞳は捉えるものを変えない。


「知ってしまうのが怖いんです。
 知ったらすべてが壊れてしまいそうで」

「…………」

「興味を持ったものは、全部なくなったんです。
 大切だったものが全部。
 だから、知ってしまったら全てが私の傍から消えてしまいそうで。
 怖いんです」


怖いんです、と繰り返した青年に、
男は彼と出会った彼の故郷を思い返す。

そして、青年を指差していた手を開き、
青年の頭に乗せた。


「お前が興味を持っただけで、消えるものなんてないさ。
 興味を持った上で、お前が取る行動で、
 消えるか残るか、どちらかが決まるんだ」


男は子供のように無邪気に笑いながら、
青年の頭を撫でる。

心なしか、青年の顔が緩む。


「知ることは大切だ。
 知識欲は人間の三大欲求にカウントされていないが、
 知識欲も入れて、欲求四天王なんてかっこいいと思ってる。
 それくらい大切な欲求だとな。
 お前も1つくらいは知りたいものがあるんじゃないか?」

「そうですね………」


青年は少し考え、


「そうですね。ある、かもしれません」


そう答えた。


「そうか。
 まぁ、無理して変わろうとする必要もないがな。
 お前が今のままでいいと思っているなら、
 今の話は聞かなかったことにしてくれ」

「はい」

「さぁ、そろそろこの国も出るぞ。
 やり残したことはないな」


青年の返事を聞いて、男は席を立つ。


「はい、師匠」


青年も席を立ち、男に続いて店内を出た。


「西の入出国管理ゲートはあっちです」

「あぁ。次の国まではどのくらいあるんだろうな」

「そうですね。聞いてみましょうか」

「バカめ。この国は隣国と緊張状態が続いてるんだぞ。
 敵国に向かうと知られりゃあ、即刻討ち首だろう」


男と青年は、
沈みかけた太陽に向かって一本の道を歩いていった。










――― end.

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