絆 -きずな- 番外編

□小さな声。
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マリア最弱。


それは小さな声でした。
内緒話は、意外と響きます。
だから、小さい声が、聞こえました。


その『マリア最弱』が誰を指しているのか、
その時は分かりませんでした。

だから僕は、首を傾げます。

隣の彼は少し面白くなさそうでした。


「悪ィ、忘れ物した」


彼は急に足を止めて言いました。


「旦那んとこで待ってなせェ。
 すぐ戻る」


僕が返事をしたら、
彼は反対方向に歩いていきました。

僕は彼の言った通り、科学班の部屋へ向かいます。

途中、エレベーターホールで
科学班班長の吉北さんの背を見つけました。

吉北さんも僕に気付いたようで、
片手をあげました。


「おう、鈴城くんじゃねぇか。
 どうした、今日からアレだろ。
 光は?」


吉北さんに問われ、
僕は忘れ物をしたらしいと答えました。

そうしたら、
あいつバカだな、と吉北さんは笑いました。


僕らは来たエレベーターに乗ります。

僕たちを乗せたエレベーターは地下三階で止まりました。


「あー……、また切れてらァ。
 この前取っ替えたばっかなんだけどなぁ」


天井の切れた照明を見ながら、
吉北さんは溜め息を吐きました。

回線がどうの、ショートがどうのとブツブツ言っています。

僕らは足元の市販のフットライトを頼りに、
薄暗い廊下を歩きました。

第二研究室、と書かれた部屋に入ります。


「コーヒーでいい?」


ビーカーを二つ持った吉北さんが尋ねました。

僕の答えを待たず、


「いいよな、うん。
 準備しちゃったし」


コーヒーメーカーではなく、
恐らく自作であろう機械でコーヒをいれ始めました。

ほどなく、ビーカーに入ったコーヒーが差し出されました。

ミルクとガムシロップの入ったカゴも置かれます。

僕はミルクとガムシロップを一つずつ、
吉北さんはガムシロップを三つ、入れました。


「ん」



差し出されたガラス棒を受け取り、混ぜます。

吉北さんは一口飲んだ後、
首を傾げて瓶から角砂糖を二つ入れました。

まだ気に入らないのか、
シュガースティックを一本追加しました。


「あー、うん。
 ま、こんなもんか」


だいぶ甘いであろうそれを、
吉北さんは満足そうに飲みました。

もう、黒い砂糖水も同然です。


「鈴城くん、もう慣れた?」


原型を留めないコーヒーを飲みながら、
吉北さんは言いました。

まぁまぁです、と答えると、
吉北さんはコーヒーをすすりました。


「何か分かんねぇことあったら聞いてくれや。
 光は何も教えたりしねぇだろうしな」


角砂糖をさらに追加しながら言われ、
僕はゆっくりビーカーに口をつけました。

少し考えて、口を開きます。


「じゃあ、ひとつだけ……」

「遠慮すんな、5個でも10個でもいいんだぜ?」

「あ、いえ、ちょっと気になることがあって……」

「?」


歯切れの悪い僕に、
吉北さんは疑問符を浮かべ、
何でもいいさ、と笑いました。


「変なこと聞いたらごめんなさい、
 あの、『マリア最弱』って、誰ですか?」


僕が言うと、吉北さんの笑みが固まりました。

一瞬、青の瞳が光りました。

吉北さんはコーヒーのビーカーを持って立ち上がります。


「……それは、アレだろ?
 誰が一番弱いかじゃなく、『マリア最弱』の肩書きが誰を指すか、だろ?」


背を向けたまま吉北さんが言いました。
僕は肯定します。


「誰から聞いたよ、その話」


角砂糖をいくつも落としていく吉北さんの背に、
話してる声が聞こえたのだと答えます。


「誰だ、誰が言ってた?
 何人だ? 名前は?
 髪の色とか髪型とか、特徴は?」


真剣な色が見える瞳で吉北さんは言いました。

その反応に、違和感を覚えながら、答えます。

僕の答えを聞き、


「そうか、またあいつらか……」


呟きました。

小さな舌打ちも聞こえました。


「悪いな、鈴城くん。
 これは本部の中でも禁句なんだわ。
 だから、言っちゃダメだし、教えらんねぇ。
 誰だか教えることで、鈴城くんの『最弱』に対する態度が変わるとは思わねぇけど、ご法度だ。
 忘れてくれとは言えねぇが、気にしないでくれや」


言い、甘ったるそうなコーヒーを飲み干しました。

ニィ、といたずらに笑い、吉北さんは言います。


「それとも、このある種の禁忌、犯してみる?」


僕が小さく頷くと、


「鈴城くんは知っといた方がいいかもしれないしな。
 いいか、他のやつらに聞かれても――いや、まさか聞かれないとは思うが――聞かれてもしらを切れよ。
 内緒の話だ。
 『マリア最弱』は――――…………」


吉北さんは言いました。

言い切るのと同じタイミングで、バン、とドアが開きました。

彼は部屋に入ることなく僕を呼びます。


「あ、それじゃあ、失礼します」

「おう、気を付けてな」


吉北さんは片手をあげ、僕を見送りました。

部屋を出て、廊下を歩く僕に、前を歩く彼が尋ねます。


「何の話してたんでさァ」

「いえ、大したことじゃないです。
 世間話――――そう、世間話ですよ」


僕の答えに、そうか、と返した彼は黙り込みました。

エレベーターに乗り、地上へと出たところで、


「あのさ、」


彼は小さく声を発しました。


「さっき、誰かがコソコソ話してたの、聞こえてたかィ?」


僕は少し迷ってから、否定しました。

その間が悪かったかもしれません。

彼のなかなか崩れない表情に怪訝そうな色が出ました。


「……聞こえてなかったらいい」

「どうしてですか?」

「いや、別に」


歩き出した彼の後を追います。

彼は小さな声で、
聞き取るのがやっとなくらいの声で、言いました。

小さな声は、意外と響くのです。



「あんま、『マリア最弱』には関わらない方がいいよ」



悲しげな音で、言いました。

前を歩く彼の顔は分かりません。

けれど、『マリア最弱』の正体を知った僕には、
どうしても、
彼が辛そうな顔をしているだろうと思えてなりませんでした。








――― end.

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