立海×不二

□木陰にて。劣情を抱く。
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関東大会。
帰り支度を終えた私の肩を誰かしらが軽く、3度叩いた。



「なんでしょう、」



その独特の回数に、私は眼鏡を押し上げ返事をする。



「仁王くん。」

「あれ、見てみんしゃい。」



予想通りそこに立っていた仁王くんは、木陰のベンチに腰を降ろしながら
わざとらしく、ひっそりと声を沈めてある一点を指差した。

にんまりと上がっている口端に眉を寄せつつ、
その指先に従うと、やたらに線の細い少年の姿があった。



「あれは切原くんとの…」



見覚えのある少年。
その彼が首筋の汗を手の甲で、今まさに拭うところだった。
ドッと、一瞬にして血流が激しく増した錯覚を覚えた。



「人を指でさすのはおよしなさい。仁王くん。」



私はその姿から視線を外すと平静を装って、
すぐに仁王くんの無遠慮な指先を地面に向けて降ろさせた。



「釣れないナリ」

「釣れないとか釣れるとか、そういう話ではありません。」



外人よろしく肩を竦めた仁王くんは、そう文句を垂れて、
また少年へと視線を戻した。



「えぇ眺めじゃのぉ〜」

「いやらしい言い方をしないでください。」

「おまんがいやらしいけん、そう感じるんじゃ」



心外。とでも言いたげな顔の仁王くん。
一体どこをどうしたらそうなってしまうのか?
質が悪いことこの上ない。
心外なのはこちらの方だ、と胸中で異論を唱える。



「からかわないでください。」

「ピヨッ」



今更意味不明な感嘆詞に反応は示すまい。
わたしはチラリと先程の少年に目を向けた。

今度はダブルスで当たった猫目の少年じゃれあっている最中のようだ。



「かわえぇのぉ〜」

「またですか。」

「違いなかろうが。」



セクハラおやじよろしく、仁王くんはまだ瞳を細める。



「アナタという人は…」



とうとう呆れて溜め息を吐くけれど、仁王くんは意に介さない。
その証拠に、彼は突拍子もない台詞を。



「全国、アイツとやりとぉなった。」

「私にはどうすることもできませんよ?」

「幸村に直談判じゃ。」

「それはまた…、随分な入れ込みようですね。」



仁王くんはにんまりと笑って『まぁの』と言った。
渦中の人物はちょっと怒ったように猫目の少年を追い回しはじめたところであった。



「それほどにまで気になるのでしたら話しかけに行っては?」



私が提案すると、仁王くんはゆるゆると首を振る。



「日差しは苦手じゃ。」

「またそんなことばかり言って…」



しかしまぁ、なるほど。

木陰で会話する私たちを隔てるような日の下で、彼らは元気よく走り回っている。
繊細そうな茶髪がキラキラと輝いている。
そうだというのに少年の肌は抜けるように白い。



「柳生、焦ってもえぇコトなんぞ ひとっつもないものダニ。」



仁王くんはクイと顎を上げる。
促されるままに注視すれば猫目の少年がこちら目がけて走ってくる。



「予定変更じゃ。」

「はい?」

「やっぱし話とぉなった。」

「仁王く、」



一陣の風を吹かせて猫目の少年が目の前を通過していった。
口端を吊り上げた仁王くんに、私の第六感が警鐘を打ち鳴らしている気がした。
我ながら全く以て過敏な第六巻である。安い。安すぎる。



「柳生、頼むぜよ」



一層目を細めた仁王くんの思考に私が追い付くのと、
仁王くんがその左足を地面から浮かせて突き出すのとはほとんど同時だった。



「ぅ、わっ…!!!」



走り込んできた彼はきっちりとその左足に躓いた。
これだから全く。
悪事の片棒を担がせるのはやめてください。といつも申し上げているのに。



「大丈夫ですか?」



本当に性質が悪い事この上ない。
私が気付かず、このまま彼が転んでしまったら一体どうするつもりだったのか…。

華奢な身体を、いかにも間一髪に“見える”ように受け止めた私は、細い肩越しに仁王くんを目でたしなめた。
もっとも仁王くんの方は『おまんも共犯者じゃ』と愉快そうに笑うばかりで、どこ吹く風。
そして、ワザとやっておきながら飄々と言ってのける。



「すまんかったのぉ。怪我はなか?」



と。



「あぁ、僕の方こそごめんね。
 それから…えっと、柳生くんだよね。ありがとう。」



腕の中の彼はなんて綺麗に笑うんだろう。
そう思うと同時に、こんな風に綺麗に笑う人が仁王くんに見初められてしまっただなんて、
なんて気の毒なのだろう。と、頭を抱えずにはいられなかった。



「いいえ、悪いのは仁王くんですから。」



ちょっと皮肉を込める。
効果がないのは分かりきっていたけれど。



「ワザとじゃなかよ。ホンマ、申し訳ないと思っちょる。」



どの口が。
と言ってやりたかったが、純な彼の手前それも叶わず。



「本当、気にしないで」

「そう言って頂けると助かります。ありがとうございます。」



薄情な仁王くんに代わって頭を下げた。
にも関わらず仁王くんは無礼にも括った毛束を弄りながら、



「お前さん、全国もシングルスで出るんか?」

「仁王くん!」



自由過ぎる振る舞いに遂に痺れが切れて思わず声を荒げてしまった。



「やかましいぜよ。柳生。」

「失礼しました。しかし、仁王くん」

「僕は構わないよ?」



再び頭を下げた私に、彼はにっこりと笑いかけてくれる。
私が複雑な想いでいるのもお構いなしに、彼の言葉に文字通り甘える仁王くん。
傍若無人にも程と言うものがあるでしょうに…



「全国ではお前さんとやりとぉなったナリ。」

「ふふっ…それは光栄だね。」



風が吹く。
葉が揺れて、彼の僅かに瞳に灯った闘争本能を隠すように木漏れ日が降る。

彼の滑らかな肌を汗が滑った。
そのまま細めの首筋を伝っていく。

陽向に居た時よりも
ずっと間近になった彼が、さっきと同じように手の甲でそれを拭った。

また、ドッと一瞬血流が増す錯覚が襲う。



「よろしければこれを。」



私の顔を驚いた風に見た彼は、わずかに逡巡した後にまた元のように綺麗に笑った。



「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ。」



微かに触れた指先から全身へ、じわりと血が巡っていく。



不二ぃ〜、置いてっちゃうぞっ―――…!!!



割り込んできた明るい声音。
私と彼だけが弾かれたように振り返ると、猫目の少年が飛び跳ねて両手を大きく振っていた。
見えない何かに隔てられた陽向で。



「全国で返すよ。」

「えぇ。」

「仁王、君と全国で当たるのも楽しみにしてるよ。」

「覚悟しときんしゃい。」

「ふふっ、そうするよ。
それじゃ、ふたりともまた近いうちに。」



パタパタと走り去る背中はテニスボールを追う時とはまるで別人だった。
さっきの燃えるような瞳と、綺麗な笑顔のように。



「なんじゃ、柳生に盗られてしもうたけぇ」

「そんなことなかったでしょう。」

「俺よりもずっと喋っとった。」

「言いがかりですよ。」



軽口を叩きながら、お互い目を合わすことはなかった。
仁王くんも私もある一点しか見ていなかったから。



「ぴろしサンも隅に置けんのぉ。」

「破廉恥な物言いは止してください。」

「おまんが破廉恥じゃけぇ、そう感じるんじゃ。」



ほとぼりに浮かされた熱っぽい身体で反論することはできなかった。

彼の首筋に汗が光っていた。
猫目の少年に並んが彼が手の甲ではなく、ハンカチで汗を拭う。

劣情が血液に紛れて全身を巡っている風だった。


END...

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