05/11の日記
08:46
会津への小さな旅(4)
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鶴ヶ城天守閣を急いで回ったといっても結構時間は経っているわけですっかり夕方です。
たいていの観光施設は5時までというところが多いので今日の観光はここまで、と、言いたいところなのですが今日見ておきたい目的地がもう一つありましてそこに今から向かいます。
お城を西側に抜けます。
お堀を左手に見ながら大きな道路へ。
とりあえず、横断歩道を渡って南側へ(信号渡って左)
これが多分国道118号線。
少し南側へ進めばこのような道路標識が遠くに見えます。
途中コンビニがありましたので100円ライターを購入。
目指すは高木邸跡。
そのためにまず近くにある有名史跡【山本覚馬・八重の生誕の地】を目指します。
そうするとしっかり分かりやすい案内棒が!(^O^)
(注:城南通りまで行きません)
これを右に曲がります。
ここは本当にごくごく普通の住宅地なので史女がキャーキャー言いながらうるさくするのは近所迷惑なので住人のふりして歩きます。
少し行くと普通の住宅のブロック塀に八重の生誕地碑が書いたものがありまして、この先に生誕地の看板があるとの事で更に進みます。
あった!
意外にすぐです。
ちなみにどんな場所かというとこんな所です。
黄色い→が今通ってきた道です。
左上の黄色い○印が鶴ヶ城のある方向です。
そして立札にはこの近所の地図があります。
(そうそうこれが見たかった、(^_^))
高木時尾さんの家とあります。
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
脳内で時尾さん=>斎藤さんへと繋がります。
もちろんどんなところか興味があります。
と、いうよりそこへ行くために来たので八重の碑を後にして向かいます。
ただ昔と道が違うので注意です。
少し戻って地図の茶色い道に沿って高木家があったであろうと思われる場所へ行きました。
道はどんづまり。
どなたかのお家が建ってました。
他人の家を写真に撮るのはマナー違反と思いまして写真は撮りませんでしたが、地図によればそこが間違いなく時尾さんのお家があった場所。
満足して引き返しました。
宿へ帰るためにもう一度下りたバス停(ハイカラさん)に戻るためにもう一度鶴ヶ城へ向かったわけですが、その途中、先程の国道118号沿いを歩いていた時に写真を一枚撮りました。
高木家からは多分こんな感じで見えたであろう鶴ヶ城。
斎藤さんが結婚されたのは戊辰戦争の後で東京に移ったのが明治7年ということですから、もしそれまでに高木家に住んでいたことがあるならば、西軍(官軍)の砲弾により傷ついた鶴ヶ城をこのような角度で臨んだのだろう・・と思いを寄せて今日の日記はここまで。
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