箱庭クライシス

□006
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口元から外された手に意識をそちらに逸れる。背中にあった温もりも離れ、どうしたのだろうと振り返ると部屋の奥に机とセットで置いてあった椅子を持って再び戻ってきた森山さんの姿がそこにいた。
扉を押さえる宮地さんとアイコンタクトを取る彼を見上げると、私の視線に気付いたのかこちらに顔を向けて軽く笑んで頭を撫でてきた。大丈夫だよ、とでも言いたげな笑みを浮かべる彼は、まるで私の中の不安を見透かしているようで。

ああ、どうして…どうしてこんな時まで。





消えた正体不明の音
(そんなに優しいんですか)





森山さんは私を背に隠すように一歩、前に出た。もしヤツが扉を破ってきても、いつでも対処できるように椅子を構える。
その森山さんの前には険しい表情をしながらも扉を押さえる宮地さんがいる。彼はこの数分、ずっとヤツの攻撃から耐えている。ヤツがぶつかってくる度、ミシミシと悲鳴を上げる扉をなんとか押さえているがそろそろ限界が近いみたいだ。
限界が近いと言っても、それは宮地さんのことじゃない。扉の方だ。
扉と壁を繋げている金具がパキパキと音を立て外れかけている。おい頑張れよ金具。負けんなよ金具。こんな豪華な家してんのになんでそんな簡単に壊れちゃうんだよ強化しようよ。
早鐘を打つ心臓のある辺りの服をぎゅっと掴む。とにかく、このままじゃヤバイ。扉が壊れたら全員危ない。

―――ぱきん。

…ああ、本当にマズイ。金具が一つ、外れてしまった。床に落ちた金具を見てサッと血の気が引いていく。
宮地さんが小さく舌打ちするのを聞きながら、森山さんの背後から一歩、前に出る。このまま宮地さんが扉の前にいたら彼が危険だ。離れさせないと。そう思っての行動だったが、それ以上前に進むことは出来なかった。
彼が、宮地さんがこちらを見ていたから。睨むような目付きをしていて、来るんじゃねぇと訴えているような気がして、それ以上動くことが出来なかった。それどころか、森山さんにまた背中に庇われるように隠されてしまうばかりで。
―――悔しい。私はなんの役にも立てず、守られるばかりの存在でしかないのか。
歯痒さを感じ、奥歯をぐっと噛み締めていると不意にピタリと扉にぶつかってくる音が止んだ。ミシミシと扉が壊れそうな音も、ビチャビチャと言う不快な音も、突如として止んだ。

一体なにが。そう思っていると何か、あまりにもこの状況とは場違いな音が聞こえた気がした。
そちらに意識を持っていかれそうになったが間を開けずにまた、ビチャ、と言う音が聞こえた。その音にびくりと一瞬体を震わせるが、次第に扉から離れていく音に体の力が抜けていき。


ビチャ……ビチャ……――――。


最後には完全に音が聞こえなくなって、私はカクンと膝から崩れ落ちるように床に座り込んでしまった。
そんな私を見て、二人の焦ったような声を聞きながらさっきのはなんだったのだろうと頭の隅で考える。しかし今は、助かったと言う安堵でいっぱいであまり物事を深く考えられない。
大丈夫か、とか。平気か、とか。声を掛けてくれるが、今はまだ、それに返事をする余裕がない。

軽く俯き目を閉じて口から大きく息を吸い、深く、長く、ゆっくりと息を吐く。大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせるように、ゆっくり、時間を掛ける。二人には悪いが、少しだけ待って貰う。
数回繰り返すと、乱れた鼓動も次第に落ち着き、トクトクと一定の早さでリズムを刻み、正常へと戻る。
…うん。もう、大丈夫だ。ぱちりと目を開け少しだけ顔を上げれば、すぐ傍に床に膝を着いて私の顔を覗き込もうとしている二人がいた。
宮地さんの男にしては大きなぱっちりとした目も、森山さんの黒目がちな切れ長の目もはっきり見える。こ、この距離は…。


「近い」

「難を逃れて第一声がそれか」

「いったたた、痛いっ、いったいです宮地さん」


顔を上げたら20センチあるかないかと言う近さに端正な顔があるんだ。普通にビビる。
それで近いと言ったら宮地さんに頭を掴まれた。何故だ。ぎりぎりと力を込めてくるから痛い。「止めろ宮地。そして天使から離れろ近い」と言っている森山さんこそ一番近い。もう10センチ切ってると思うんだ。取り合えずあれだよ。何が言いたいかと言うと、二人とも近い。


二人から一定の(差ほど変わらない気もするが)距離を取り、再度宮地さんに大丈夫かと聞かれたので大丈夫ですと答えた。そうすると森山さんがまた私の顔を覗き込むように見てくる。


「本当に?…無理してない?」

「はい、してないですよ。ただ安心して、力が抜けてしまっただけなので平気です」


心配してくれてありがとうございます。
そうへらりと笑って言えば森山さんも硬い表情を少し和らげ、なら良かったと頭を撫でてきた。彼の掌から伝わる温度に少しだけ目を細める。
ああ、本当にこの人たちは優しいな。でも、温かい気持ちになる反面、二人に守られてばかりの自分の不甲斐なさにじくりと胸が痛む。
「森山さんも大丈夫ですか?」と問えば、ハッとしたような表情をして「天使が俺の心配を…っ!ああ、大丈夫だよ!!」と答えてきた。通常運転の様で安心しました。
隣から小さく溜め息を吐くのが聞こえた。すると森山さんは私の頭から手を離し、宮地さんを見たので釣られて私も宮地さんの方に目を向けた。
彼は体育座りをする要領で膝を曲げて扉に寄りかかるように座り込んでいた。丁度よく曲げた膝の間に顔を俯かせおり、その様子を見て少しばかり焦った。
彼は扉を押さえていたし、もしかしたら気付かないうちに怪我をしてしまったのかもしれないと。


「宮地さん、大丈夫ですか?どこか怪我でもしましたか?」


二人が私にしていたように傍に寄り、俯く宮地さんの顔を覗き込むようにすると宮地さんが軽く顔を上げた。ぱちりと目が合うと、彼は苦笑いに近い表情を浮かべ、大丈夫だと言った。


「少し、疲れただけだ」


そう最後に一言付け足し、わしゃわしゃと私の頭を撫でてきた。あまり力の入ってないそれにチクリと胸が痛んだ。
彼はずっとヤツの攻撃から扉を押さえっぱなしだった。だから疲れてもおかしくはないだろう。でも、たぶん体力的な問題だけじゃなくて精神的なものだと思う。
正体不明なヤツに追い込まれ、扉を破られれば私たちの身が危なかったんだ。破られまいと気を張って、プレッシャーのようなものがかかっていたのかもしれない。
また一つ溜め息を吐いた宮地さんはしっかり顔を上げ、仕上げに私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
そして、それよりと言葉を紡いだ。


「さっきのヤツ、あんなしつこくこの部屋に入ろうとしたってことは俺たちがここにいるってこと知ってたのか?」

「さぁな…この部屋から随分と離れた場所から来たみたいに思えたが……よく晴ちゃん気付いたね」

「そういや、お前が最初に音に気が付いたんだったな」


二人が揃ってこちらを見てきたので、小さく頷いて肯定する。


「アイツが、私たちがここにいると知ってこの部屋に来たのかは私にも分かりませんが…森山さんの言うようにかなり離れた場所から来たのは確かだと思います」


私の言葉を聞いて、うむ…と悩むような声を上げる二人にそれと、と言葉を続ける。


「…ヤツは、迷い無くこの部屋に歩いて来てました」


まるで、何かに反応したように。
その言葉に二人の顔が少しだけ強張ったのを私は見逃さなかった。

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