短編集
□“大好きだよ”
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春。桜の咲く季節がやって来た。冬の冷たい鋭い風が和らぎ、春の穏やかで暖かい気候へと変わった。
春は、花見にお団子、卒業式や入学式という様々なイベントがある。しかし私は既に成人済み。学校のイベントには無関係。花見や団子くらいはするが、そこまで楽しいとは思えない。桜が咲けば、ああ、春が来たんだな。この程度にしか思わない。
春は、俗に言う“恋の季節”とも呼ばれているが、私には関係のないこと。そんな浮いた話しは一切ない。
だから、いつも通り、夏が来て秋が来て、冬が来れば、また春が訪れる。そんなふうに毎日が過ぎていくんだと思っていた。
しかし、今年の春はちょっとだけ違う。桜が咲く前、まだ雪が降る頃に“変わった同居人”が出来たのだ。
「ねぇねぇ名前、あれなに?」
「あれは桜だよ」
「さくらぁ?」
「うん、桜」
そう。その“変わった同居人”と言うのが、私の頭の上に乗っかっている、この青い小さな生き物だ。くりくりとした大きな瞳を輝かせ、頭から生える耳のようなものをピクピクと動かし、小さな手足でしっかり私の頭に掴まっている、この小さな生き物は突然私の元へやって来た。
「ねぇねぇ、もっと近くで見たい!」
「はいはい、じゃあ公園の方に行こっか」
「やったぁ!ありがと、名前!」
頭の上ではしゃぐ、この小さな生き物は“デジモン”と言うらしい。仮想世界“デジタルワールド”の生き物として存在していたデジモンは、何故、この現実世界“リアルワールド”へ現れるようになったのかはハッキリと解明されていない。
「おチビ、重い」
「え〜、名前より重いないよ」
「言うようになったじゃないの…」
“おチビ”とは、この小さい生き物のことだ。本当の名前は“チビモン”と言うらしい。まあ、小さいだけにチビモンと言うのは合っているなと思っている。チビモンと呼んでも良いのだが、私がこの子と出会ったときに、おチビと呼んだのが切っ掛けでそれからずっとおチビと呼んでいる。この子も、おチビと呼ばれることは了承しているし、そう呼んでくれとも言われている。
「うわ〜!すごいすごい!いっぱい咲いてるよー!」
桜が咲いている公園に来ると、チビモンは一層はしゃぎ、頭の上で騒いでいた。ああ…あんまり騒ぐなって。あ、ほら、公園にいる子供や親御さんたちが見てくるよ。ねぇねぇママ、あれ何?こら、見るんじゃありません!周りの人達が奇妙な物を見る目で、私たち…と言うより、チビモンを見て来る。
「…おチビ、あんまり騒がないの」
「あ、そっか…ごめんね」
あまりにも周りの視線が痛いので、チビモンに注意した。すると口を片手で押さえて、小さく謝ってきた。デジモンは、この世界では珍しいのだ。だから、外に出歩くのもどうかと思うが、家の中だけに居させるのはなんだか可哀想だ。なので、人が居るところでは騒がないと言うのが条件で、外に連れ出している。
静かになったチビモンを見ると、桜をきらきらとした瞳で見上げていた。チビモンは人間で言うと、まだ子供なのだ。だから、きっと思いっきりはしゃいで遊びたいのだろう。
「…おチビ、移動するよ」
「え、もう行っちゃうの?」
「移動するだけで、桜は見れるから安心して」
そっか!と笑うチビモンは嬉しそうだ。そんなに桜が気に入ったのかな?とにかく、もう少しチビモンが伸び伸びと遊べるところを探そう。静かで、人通りが少ないところ。
この子と出会ったのは、私の家。気まぐれでパソコンをしていたら、いきなり画面が眩しい程に光を放って、そこからこの子が現れたのだ。私はてっきり、テレビの中の井戸から出てくる貞○さんみたいなのが来るのかと思ったよ。でも私のそんな予想は大ハズレで、幽霊でも心霊現象でもない、デジモンというプログラムだった。
プログラム、データ。私はそういうデジタル系統には疎いから詳しくは分からない。でも、チビモンを見て、触れて、一緒に居ると、ああ、おチビは生きてるんだな。そう実感する。
喜びがあって悲しみがる。温かいがあって冷たいがある。どれも、人間にあるものだ。しかしそれはデジモンも同じこと。
もともと見た目が可愛いから、出会った当初から怖いとは思っていなかった。そりゃあいきなり現れた時は驚いたけど、この子が不安そうな表情で「怖い?」なんて聞いてくるから、驚きも吹っ飛んだ。
チビモンがどうしてこちらの世界に来たのかは、チビモンにも分からないらしい。だから元の世界へ帰れるのか、とても不安なようだった。この子と出会ったのも何かの縁。私はそう思い、帰れるまでここに居ていいと言ったのだ。最初こそ戸惑ってはいたが、他に行く宛もないようだったので、そのまま私の家に住み着いた。
「名前、どこに行くの?」
「ん?ああ、人の少ない所だよ」
「え、なんでそんな所に行くの?」
「それは、まぁ…ここは少し騒がしいから、人気のない静かな場所にと、思って…」
「名前…!」
「…?な、にっ!?」
名前を呼ばれたから目だけチビモンに向けたら、ズルッと頭の上からずり落ちて来て、すごいきらきらした瞳で私の顔を覗き込んでいた。いや、てか近過ぎて何も見えない!
「おチビ、前見えない!」
「名前はやっぱり優しいね!」
「は…?」
何を言ってるんだこのチビは。てか、まず近い。少し離れなさいよ。
「だって、それっておれの為でしょ?おれをこうやって外に連れ出してくれるのも、おれが遊びたそうにしてたから」
「………」
「人気のない場所に行くのは、おれが思いっきり遊んでも良いように…そうでしょ?」
近すぎてチビモン顔がはっきりと見えないが、きっとこの子は笑っているのだろう。実際、チビモンが言っていることは当たってる。でも、そうだよと言うのもなんだか恥ずかしく、答えを返すのに窮する。
「………」
「図星?」
「っ…あ〜も〜、少し黙ってなさいバカチビ」
「バカチビって酷い!」
恥ずかしくて悪口を言ってしまう。酷い!と騒いでるチビモンだが、そんなに酷いとは思ってないだろう。定位置に戻った時に見えた顔が嬉しそうに笑っていたからだ。あ〜も〜…恥ずかしい。
* * * * *
この辺りで良いかな。そう言うと、チビモンが遊んで良いの?と聞いてきた。だから、いっぱい遊びな、と言ってチビモンを頭から下ろた。
できるだけ人の少ない場所へとやって来た。人がいても、一人や二人。それに、ここは桜並木がとても綺麗に咲いていて、チビモンも喜んでいるようだ。落ちている桜の花びらを集め、上に投げて、ひらひらと舞い落ちる花びらを楽しそうに眺めている。
「名前、名前!すごいね!綺麗だね!」
「うん…そうだね」
こちらを振り返って、ぴょんぴょん跳ねているチビモンは、本当に楽しそうだ。傍に寄れば、チビモンの頭に、一枚の桜の花びらが付いているのに気が付く。しかし、当のチビモンはそれに全く気付かず、無邪気に遊んでいる様子に、思わず笑みを溢してしまう。
チビモンがこちらの世界に来て、一緒にいるようになってから、私の世界は変わりつつある。チビモンが来る前は仕事に明け暮れていて、世界が白黒で、つまらなかった。
しかし、チビモンが来てからは白黒だった世界に色が付いていった。毎日が楽しいと思えたんだ。
でも、怖いんだ。チビモンが帰ってしまったら、世界はまた白黒に戻ってしまうんじゃないかと。不安なんだ。チビモンがいなくなることが。
…ああ…そっか。今更気付いたけど、私って、こんなにもチビモンが…。
「結衣?」
ぼんやりと考え事をして突っ立っていたら、チビモンに声をかけられた。どうしたの?としゃがめば、チビモンが小さな両手を伸ばして、抱っこ!と言ってきた。いつもの私なら、抱っこと言われてもしないのだが、今は甘えてきたチビモンを素直に抱き上げたのだ。
「…名前、どうしたの?なんか変だよ?」
抱っこと言ってきたのはチビモンなのに、どうしたのはないだろ。変でもない。まあ、仕方がないよね。いつもなら抱っこしないから、おかしいと思ったんだろう。…確かにちょっとおかしいし、変かもね。
「チビモン…」
「なぁに?」
首を微かに傾げるチビモンに、呟くように小さく言った。
「 」
え…と言って、くりくりとした大きな目を更に大きくして驚くチビモン。チビモンがこんなにも驚くことを言ってしまうほど、今の私は変なんだ。次の瞬間、チビモン目をぱちぱちと瞬き、パッ!と笑顔に変わる。
「名前!やっぱり変!」
「失礼な、私は正常だ」
「えへへっ!ねぇ、名前?」
「なに?」
「あのね!おれもねっ―――」
私の耳に顔を寄せて言ったその言葉に、自然と笑みが零れた。チビモンと顔を見合わせて、額をくっ付け、二人でクスクスと笑った。
「おチビ…あなたが帰るまで、ずっと傍にいさせてね」
「うん!おれもいるよ!ずっといる、名前の傍にいるよ!」
「…ありがとっ」
いつかは、この夢から覚める。必ず、覚めなければいけない。でも、今はまだ、この幸せな夢に囚われさせて…。
“大好きだよ”
(夏になったら海に行こっか。それに、花火もしよ)
(はなび?)
(桜とは全く違うけど、綺麗な火の花だよ)
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