短編集

□小さな奇跡に祝福を
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ピーッとヤカンに入れた水が沸騰した合図がキッチンから聞こえてくる。少しだけその音を聞きながらソファでぼーっとしていたが、いつまで経っても止まないピーと言う甲高い音にさすがにうるさくなり、大きく重くなったお腹を支えながら、短い掛け声と共に立ち上がった。そのちょっとした動作だけでも今は辛かったりするが、まぁ大丈夫だ。
キッチンへ向かいガスコンロに火をかけられて白い煙と甲高い音を立てているヤカン。カチッとガスコンロを切れば、ピュー…と萎んでいくように消える音。
やっと静かになった、なんて思っていると今度はドタドタと何かの音が家の中に響いた。ヤカンの甲高い音で分からなかったが、さっきからこの音は――足音は鳴っていたのかもしれない。ドタドタ、ドタドタッ。…あぁ、床が抜けないか心配だ。


「名前!お前また勝手に動きやがって、」

「ベルゼブモン、床は抜けてない?手すり壊してない?」

「あぁ、それは心配いらねぇ…って違ぇ!!」


先程のドタドタとうるさ…いや、騒がしかった足音は、彼――ベルゼブモンのものだった。ベルゼブモンは家の二階から階段を伝って降りてきたようで、床もだが階段も壊れてないか心配になった。階段についてある手すりを折ったり削ったり破壊してないよね?前に一度あったから不安だ。
まぁ大丈夫だろうと思いつつも冗談でそんなこと言うと、真面目に答えて、私に流されてると分かると違うと叫ぶ彼。可愛いなんて言ったら余計に怒っちゃうから言わないけど。


「名前!お前は大人しくしてろっつったろ!」

「えぇ、言われたわ。だからヤカンが沸騰するまでの間はソファに座ってたのよ?」

「でも立ってたじゃねぇか」

「私、あなたに大人しくしてろって言われたあと善処するって答えたわ」

「…つまり?」

「最もよい方法で処理する…つまり、私があなたは忙しいと判断したから動いたの。それに火の取り扱いには注意しないとね」

「…はぁ……」


にっこり笑って言えば、彼は片手で目を覆って溜め息を吐いた。
ベルゼブモンはここ最近はずっと家事をしている。掃除に洗濯、料理までする完全なる主夫である。普段見る、彼の荒々しい感じとは違って家での主夫っぷりには目を見張る。最初こそは慣れずに苦戦していたが一週間、一ヶ月と時間が経つに連れて彼は完璧な主夫になっていた。なにこれ不思議。
しかし、彼もまた一遍に全てをやれる訳ではない。だからこそ、今の自分の状態で出来る範囲のことはしたいと思っているのだが、彼は今の私にあまり無理をさせたくないらしい。彼の気持ちはとても嬉しい。あぁ、愛されているんだなって実感できる。でも、だからって彼に全てを任せっぱなしは駄目だと思う。
すると彼は目を覆っていた手を下ろして、じっと私を見つめてくる。三つの紅い目に見つめられて、少しだけ、どくりと心臓が跳ねる。切れ長く鋭い目。紅い目はまるでガーネットのよう。翼があるときの緑色の目はエメラルドようで、どちらもとても綺麗だった。
目は彼に惚れたひとつでもあるかも、と思いながら彼を見つめ返していた。
暫く互いに無言でいたが、ベルゼブモンがスッとこちらに手を伸ばし、大きく重くなった私のお腹を優しく撫でた。また暫くすると「本当に大丈夫なのか?」と問うてきた。心配性の彼に、また愛しく感じる。それに笑みを浮かべお腹を撫でる大きな手に自分の手を重ねる。


「大丈夫よ。本当に無理ならあなたを頼るし、黙って大人しくしてるから」

「…まぁ、大人しい名前なんて名前らしくねぇけどな」

「なんですってこのやろう。ちょっと屈みなさい、目潰ししてあげるから」

「悪かった嘘ですごめんなさい」


ぐっ、と重ねた手に力を込めればすぐさま謝られた。まぁよしとしましょう。


「けど、本気で無理はすんじゃねぇぞ。もうお前だけの身体じゃねぇんだ」

「…分かっているわ」


丸く大きくなったお腹には、今、新しい命が宿っている。そう、彼の、ベルゼブモンとの子だ。デジモンと人間の間にまさか子供が出来るなんて思ってもみなかった。とても驚いたけど、それ以上に嬉しかったのだ。彼の子を授かったことが。
しかし、それと同時に母親になるという不安も生まれた。私なんかがちゃんと母親になれるのだろうか、と。そんな私の気持ちに気づいていたのかいないのか、彼は「じゃあ、俺は父親になるわけか」とまぁ嬉しそうな顔で言うのだ。そんな彼に過去に一度「不安はないのか?」と素直に問うてみたことがあった。


『不安?んなもんねぇよ。つか、お前は何が不安なんだ?』

『そりゃ…母親になるわけだし』

『あぁ』

『その…ちゃんと親としての務めを果たせるかとか…ちゃんと…』

『ちゃんと?』

『…ちゃんと…子供を産むことができるのか、とか…』

『…名前、大丈夫だ』

『でも!っ、』

『大丈夫』

『………』

『ちゃんと産める、お前なら大丈夫だ』

『………』

『俺もいる』

『……そう、ね』

『母親になることに関しちゃあ俺だって同じだ。俺も初めて父親になるんだからな』

『…ベルゼブモンが父親って…なんか変ね』

『なっ、変ってなんだよ!!』

『…フフッ』

『何笑ってんだよっ……、はぁー…』


ぼんやりと過去のやり取りを思い出した。不思議とそのやり取りで不安は消えていった。彼が大丈夫だと言った。なら、大丈夫だ思うようになった。なんて単純な、と思うかもしれないが本当にそんな気がするの。

名前、と名前を呼ばれふと気付けば私は顔を俯かせていたようだ。顔を上げればベルゼブモンが顰めっ面(実際は仮面でよく分からないが)をして私を見下ろしていた。「なぁに?」と首を傾げれば「やっぱ無理してんじゃねぇのか?」と言われた。何故? まぁ話している途中で俯いたから具合が悪いんじゃないかと思われたのだろう。


「大丈夫よ。少し昔のことを思い出していただけ」

「昔? なんだよ」

「さぁーなんでしょー?」


にやにやと笑みを浮かべて言えば「教えろ!」と言われた。だが私はそれに答えず、ただ笑って、逃げて誤魔化した。
彼とならきっと大丈夫。だって今、こんなに幸せなんだもの。
私はお腹に宿っている命に、安心して生まれておいでと心の中で呟いて、ゆるりと丸いお腹を撫でた。



*



ぺちっ、ぺちぺち。何かが頬を叩く感覚に意識を向ける。なんだろう、視界が真っ暗だ。ぺちぺちされる感覚とふわふわした感覚にあぁそうかと思い、閉じていた瞼を開ける。


「…ごめんね…少し寝ていたわ」

「まま、ねんね?」

「そう、ねんねしてたの」


瞼を上げ、私の瞳に映ったのは彼によく似た小さな子供。この子は、私とベルゼブモンの子供だ。私の頬を叩いていたのはこの子で間違いないだろう。頬を触られているし。
綺麗な金色の髪を撫でてあげると嬉しそうににこにこと笑う息子。うん、可愛い。天使はここにいた。どうやら息子の相手をしている内につい寝てしまっていたようだ。不覚。
私が息子の可愛さに癒されていると頭上から「起きたか?」と低い声が落ちてきた。あ、そういや忘れてた。


「あなたに抱えられていたことをすっかり忘れていたわ」

「おいこらそりゃどういう意味だ」

「そのままの意味よ」


顔を上に向ければ紅い目が私を見下ろしていた。息子を抱えた私をベルゼブモンが抱えている。まぁ胡座をかいたベルゼブモンの上に座っている状態だ。「おはよ」と小さく言えば「はよ」と短く返事を返し、額に軽く唇を寄せてきた。


「ん…どのくらい寝てた?」

「そんなに寝てねぇぞ。10分寝たか寝てねぇか」

「本当にちょっとしか寝てないわね」

「まま」

「ん、どうしたの?」

「んっ!」

「わっ、」

「なっ…!」


少しぼーっとした頭で彼の行動を受け入れていると、急に息子がくいっと服を引っ張ってきた。どうしたのだろうと思い、上を向いていた顔を息子に向ければ頬に柔らかな感触と彼の驚いたような声が耳に入った。突然のことにきょとんとしていると目の前にいる息子がにぃーっと笑って「ぱぱのまね」と言い出した。あぁ、これはキュンときた。


「分かります天使ですね」

「う?」

「天使っ…!」

「…落ち着け名前、息子だ」

「分かってるわよ、息子という天使ね」

「分かってるって言うのかそれは」


はぁ、と溜め息を吐くベルゼブモンをしり目に息子を抱き締める。さっきの頬に当たった柔らかな感触は、息子が私の頬にキスしてきたのだ。もう、なんって可愛いことをするのだろう。私を昇天させる気か?


「つか、なんだよ俺の真似って」

「だってぱぱ、ままによくこうしてる」

「………」

「………」

「こうするとまま、嬉しそうに笑ってるから」

「………」

「……ベルゼブモン、今からキス禁止」

「なんでだっ!!」

「恥ずかしい…穴があったら入りたい……」

「? まま、まっかっか」


息子はしっかり見ていた。私たちの行動、表情を。我が息子ながら恐ろしい。天使の皮を被った小悪魔だ。ノット天使。イエス小悪魔。可愛いことには変わりがないが。
恥ずかしい…あぁ、もうやだ。暫くベルゼブモンとキスしない。本当にしない!…と決意したが、そんな決意はかなり脆いものだと思う。何かベルゼブモンが言っているけど、まぁいいや。


「そういえばさっき、夢見てたわ」

「は、夢?」

「そっ、この子がまだお腹の中に居たときのね」

「あぁ、その頃のか…てめぇは俺が大人しくしてろっつっても動きやがって」

「あれでもだいぶ大人しくしてたのよ?」

「あれでか」

「あれでよ、ね〜?」

「? ね〜!」


息子に同意を求めれば絶対に意味分かっていないだろうって顔していたが笑顔で言った。うん、可愛い。
この子を産む前は何度も不安になった。元々私とベルゼブモンは人間とデジモン。種族が違う故にちゃんと産めるかが不安だった。その度ベルゼブモンが大丈夫だと言ってくれた。不思議なもので、彼が言うなら大丈夫だと思ったし、事実大丈夫だった。


「ベルゼブモン」

「何だよ」

「あなたは…不思議ね」

「は……いきなりなんだ」

「さぁ、なんでしょね」

「…よっぽどお前の方が不思議だ」

「ふふっ、かもね。…ねぇ」

「あ?」

「ありがとうね」

「……おう」


きっと、これは奇跡だ。種族を越えた恋は、愛は、新しい命を産んだ。不思議なものだ。


「ぱぱ!」

「どうした」


不思議だけど、とても温かくて、とても心地好くて―――とても幸せだ。
だからこそ、私はこの奇跡を祝福するよ。この、小さな小さな奇跡に…彼と祝福を。




小さな奇跡に祝福を


(ぷろれすごっこしよ!)

(プロレス?まぁ、いいが…なんでまた)

(ぱぱとまま、よるにべっとのおうえでしてたでしょ?)

((!!?))

(だから、プロレスごっこしよー!)

(………ベルゼブモン?)

(……おう)

(一発、いや…百発くらい殴らせろっ…!)

(理不尽だ!!!)

(ぱーぱー!ぷろれすしよー!)


******
ケイト様へ捧げます。キリ番リクエストありがとうございました!

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