その男、人でなし
□孤独な英雄
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久し振りだなあ。今の感想を挙げるなら、その一言が相応しかった。
箱庭学園入学から半日と経たない頃だった。
広大な敷地に並び立つ施設を覚えようとブラブラと歩いていると、不良と形容すべきであろう男達に囲まれた。
逃げ場を無くすように取り囲む年上の男達。その様は、中学時代に飽きるほど見た光景だ。
どうせカツアゲの類だろう。そう思っていると、男の内の一人が「金に困っている」的なことを言い出して、他の奴らが同調するように「金を貸してくれ」「大人しく出さないと痛い目を見る」果てには「跳んでみろ」なんて時代遅れなセリフまで飛び出す始末。
これにはさすがの俺も笑いを堪え切れなかった(いつも笑ってるじゃないかなんてツッコミは無しだ)。
吹き出して肩を揺らすと、それが男達のカンに障ったらしく、一人が俺に向かって拳を振り上げた。
あーあ、短気だなあ。なんて、空気にそぐわぬ事を考えながら近づいてくる拳を呑気に眺める。
もう少し。
あと一秒後には頬にめり込むだろう───そんなところで、俺じゃなくその男が吹き飛んだ。
盛大に、大胆に。数字で表すなら20m以上は飛んだだろう。地に落ちピクリとも動かない男。
しかしながら、それを見る余裕などこの場にいる全員が持ち合わせていなかった。
目の前に何かいる。
それが分かっているのに、その正体が何なのか分からない。
まるで、無意識下で知ることを避けているかのようだった。
俺がそんな奇妙な感覚を覚えている間に、その存在が動き、一人、二人と男達が飛んでいく。
宙を舞うその姿は、ゾウに追い払われるハエにも見えた。
時間にして一分。むしろそれより早く終わった気もする掃除は、ただただ圧倒的だった。
「……ええと、どちら様?」
一掃し動きを止めた存在にそう問いかける。
振り返ったソレと目が合い、漸くはっきりとその姿を認識した。
「 英 雄 」
でかかった。
巨大で、絶大で、壮大。そんな言葉すら矮小に思えてくるほど、その男はでかかった。
───三年十三組、日之影空洞。
現生徒会長であり、後に『知られざる英雄』と呼ばれなかった男である。
かくして、俺は自分の手を一切汚すことなく邪魔な人達を追い払えたわけなのだけれど。
この状況、さらに厄介な気がするのは気のせいだろうか。
「へえ、英雄ですか。それじゃあ英雄さん、助けてくれてありがとうございました。今は持ち合わせがないのでお礼はまた後日ってことで」
「……いや、いい。どうせお前も覚えていられないだろうしな」
「はい?」
と、首を傾げてみる───が、日之影先輩の言った言葉の意味を、俺はすぐに理解することになった。
───既に、忘れかけている。
いや、忘れかけている、というよりは───覚えていられなくなっている。
日之影空洞の異常に名をつけるなら、彼の呼ばれることの無い二つ名『知られざる英雄』ほど相応しいものは無い。
誰も彼のことを覚えていられない。
それが日之影先輩の異常。
影が薄い、のではない。むしろその逆だ。
その圧倒的過ぎる存在感。
強大過ぎる威圧感。
戦力差が明確な軍隊や、生物として格上の肉食獣に出会った時のような。
強制的に事実として突き付けられる生命の危機。
食物連鎖の頂点にでも立っていそうな存在を目の前にして、立ち向かう勇気を持ち合わせている者など早々いない。
───故に。
誰もが目を逸らす。
それが彼の異常の正体で、原因だ。
「あー……ええと、頭に靄がかかったみたいな不思議な心地ですけど……貴方みたいな大きな人、きっともう一回会えたら思い出せると思うんで。どこかで見かけたら声でもかけてください。その時に何か好きなものでも奢りますよ」
「……ああ、その時はお願いするよ」
どこかその場しのぎな回答をして、日之影先輩は背を向けて去っていた。───手品や魔法のようにパッとその場から消えたから、本当にそうかは分からないけれど。
そして、俺はすぐにこの出会いを忘れ───その後、思い出す事も無かった。
助けられた事も、何もかも。
───去り際の諦めたような表情も、全て。
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