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□辞書(3)
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「花井はさあ、最近辞書使ってねえの?」
辞書を返してくるとともに礼を言った後、田島はそんなことを聞いてきた。何の話だろう?辞書を使ってるかどうかが、どう膨らむんだ?なんて、一瞬浮かんでから、ただ純粋に聞きたいだけだろ田島だし、という考えに行きついた。その少しの間を敏感に感じ取ったのか、田島はもう一度同じ質問を同じトーンで繰り返した。
「辞書、最近使ってない?」
「あー、まあどうだろ?使ってねえ、のかな?」
「俺に聞くなよな〜!」
花井のことだろー、と子供のように少し膨れ面になる。頭の隅でそれを、かわいいな、なんて思ってる俺自身を自覚して、何故だか自分が可哀相になった。(なんという人間をバカにする感情だ!)
「・・・最近授業で辞書使わねーんだよ」
「俺んトコは辞書チョー使ってるぜ?」
「お前のクラスとじゃ、先生がちげーだろ」
「じゃあ古典も?英語も?オーラルも?」
「そうだな・・・使ってない・・・かな?」
「また聞いたー!」
ぶすっとして不機嫌を隠さない表情を見せる田島。何なんだ?そんなに辞書使う頻度が大事なのか?俺なんか見逃したり聞き逃したりしてた?純粋に聞きたいだけなら、いつもはこんな顔にはならない・・・はずだ。頭の中は盛大に「?」が飛び交う。
「何?田島、お前何が聞きたいんだ?」
「だからー、最近一番良く使ってる辞書じゃん!」
「最近使う辞書ぉ?」
一番最初と質問が変わってないか?まあ田島のことだから、ぐるぐるしてる内に聞きたいことが変わったか、本当に聞きたいことがわかったってとこだろう。天然の田島のことだ。あの三橋と波長が合うくらいだから、きっとこの質問も意味があってないようなものかもしれない。なんだか自分の考えに合点がいって、なんだじゃあやっぱりいつものことじゃないか、ということに結論がついた。
「どれも使ってねーよ・・・確か・・・」
「マジ!?なんで!!?」
「テスト近いから、どの授業も予習とか必要ねえし、新しいトコも入んねえから、辞書要らないんだよ・・・ってお前、勉強してるか?」
ものすごいキョトンとした顔をして俺の話を聞いていた田島に、一抹の不安がよぎった。よもやこんなにも学校中がテストモードに入っているのに、テストのことを忘れてた・・・なんてことはないだろう。いくら阿部や西広や俺が教えるからといったって、何もしてないことはないはず・・・だと思いたい。だけどそんな俺の楽観的な希望も、田島の次の言葉で、儚くも崩れ去ってしまう。
「ああ!だからなんか最近みんなベンキョーしてたのか!!」
「・・・・・・」
俺もこいつが何か準備をしていると完全には思っていなかった。思っていなかったがこうもあっさりとそれを肯定されると、毎回1から教える側の身にもなれ!と思いたくもなる。(まあ、こいつが勉強のことで教える側になることはこれまでもこれからも皆無だろうけど)やけに納得のいった顔で頷く田島は
「じゃあまたよろしくな、花井!」
といつもの明るさでそう言った。惚れてる相手に頼りにされることは、決して気分の悪いことではないが、こいつの出来の悪さを経験している以上先が思いやられる。俺自身のテスト勉強は先に終わらさないとダメかもしれないなあ…なんて考えながら田島の言葉に頷こうとしたとき、休憩の終わりを告げるチャイムが大きく鳴った。
「やべえ!授業遅れんじゃん!!じゃあな花井!」
「おー」
慌てる田島が可笑しくて、口からは軽く笑いが零れる。あいつもやっぱり先生が怖いのか、なんて思うと、なんかくすぐったかった。走りだそうとする田島だったが、思い出したようにもう一度俺と目を合わせ、そして

「辞書、見てよ」



――ああ、またか・・・――

心臓が止まるかと思った。またあの目だ。そして、あの真剣すぎる声。またこの熟れすぎたトマトみたいになってしまっているであろう俺の顔を見ない間に走り去っていった田島に感謝する。
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