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□辞書(1)
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「はーない〜」
「どぅわっ!!」
教室での休み時間。俺は廊下側の窓を背に立って阿部と話していたところ、後ろからの突然の強襲を受けた。思いっきり変な声を出しながら、俺は後ろへのけ反ってしまった。タッパの違いから、首に回された腕に体重をかけられ、正直苦しい。しかも窓を挟んでいるから、体勢的にも厳しいものがある。犯人なんて1人しかいない。
「田島っ!」
分かっているのに、思いっきり焦った声が出た。同時に首に巻かれた腕をはがす。顔が熱いのは苦しかったから、だけかどうかなんてのはもう今更だ。
「お前…何だよ!ってか飛びつくな!!」
「辞書貸して〜」
気付かれないよう、さりげなく窓から遠ざかり田島と距離を作る。田島はヘラヘラと笑っている。そんな、まったく特別でもない表情にさえ、この胸はどうしたことか、鼓動が早くなるのだから重症だ。なんだか気まずい気がして、そして何より落ち着くために、盛大な溜め息を吐いてから
「…何の辞書だよ?」
聞いた。
「あー、次なんだっけ三橋?」
どうやら一緒についてきていたらしい(いや、連れてこられたのか)三橋を、何かまた険悪な雰囲気になり始めていた阿部から引き剥がして、田島はそんなことを尋ねた。
「次の科目も知らねえで来たのかよお前…」
すっかり呆れた声になってしまったと思う。
「ん〜…でも辞書借りなきゃいけないってのは覚えてたんだからいいじゃん!」
「た、たじま、くん!げ、こっ」
「あー、現国か!三橋よく覚えてんなあ」
眩しいくらいの、満面の笑み。俺に向けられたものじゃない、他人への表情。その相手が三橋だとわかっていても、中から湧き上がる黒い火を感じて、俺は頭を抱えて座り込みたくなる。
「と、いうわけで花井!国語の辞書!!」
今度はその笑顔が、俺に向けられる。それだけで、なんか、さっきの気持ちは全部嘘だったみたいな気分がするんだから、もう本当に死んでしまいたい。
「ん、ちょっと待ってろ」
そうして俺は、少し窓から離れた場所にある俺の席に辞書を取りに足を向ける。

最近、いつもこうだ。

田島の一挙一動に振り回されてばかりいる。俺は恋する乙女か!と、自分でツッコミを入れてみても、空しいだけだった。正直あいつといると、気持ちが動きすぎて異常に疲れる。なるべく会わないように努力はしているのだ。けれど、いつも何かと忘れ物をしてくる田島は、キャプテンだからという理由で(「花井はキャプテンだから、真面目にいっぱい持ってきてるよな!」というお言葉をいただいた)俺のところにやたらとモノを借りに来る。教科書、文房具、体操服なんてのもあったけれど、一番頻度が多いのはこの辞書だ。まあ、周りはもう電子辞書ばっかで、わざわざ紙の辞書使ってる俺みたいなのが珍しいから、「絶対に紙の辞書がいいよ!!」と言ってのけたアイツにとっては、俺に借りに来るのは至極当然なのかもしれない。
もう一度、俺は深い溜め息を吐いた。

そう、当然なのだ、「友達」として。

男に、まして野球部のチームメイトに、恋心なんてもの抱くほうが普通おかしいんだ。分ってはいる。分ってはいるけれど、その気持ちの温度差に気付かされるとき、いつも泣き出したくなるほどに辛い。ああ、早くこんな感情を捨ててしまいたい。田島と普通のチームメイトの関係に戻りたい。早くしなければ、もしかしたら、あいつにこの気持ちがばれるんじゃないかって。だから、会いたくなんてないのに…!
「ほら、お前、俺のなんだから大事に使えよ!」
今の言葉、声は震えていなかっただろうか?ちゃんと笑えていただろうか?田島に辞書を手渡しながら、言動が不自然になっていなかったことを、俺は真剣に願う。
「サンキュー、花井!」

ドキリと、心臓が大きく跳ねた。

一瞬、止まってしまったかと思うほどに、大きく鼓動を打った。感謝の言葉と共に向けられた、あいつの顔。
―――…反則だ……―――
辞書を受け取ったと同時に、三橋を連れて教室に走って行ったあいつに、今の俺の顔が見られなかったことに、本当に安心した。多分可哀想になるくらい、真っ赤になってしまっている。さっきのあの顔は、俺がこんなことになってしまっているきっかけの顔だ。まんま、そうだ。一瞬獣のような目をした後、破顔していく、その表情。
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