〜なくせに

□逃げたい
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逃げたいくせに



バタバタと逃げ出すように駆けた。

雨上がりの灰色の空から、紅の光が私の背中を照らす。


走って、息を切らして、火照る体はそのせいだと自身に対して言い訳をしながら、寮までの道を駆けた。


途中、後ろを振り向けば、そこに檜佐木の姿はなく、ほっとしたような安堵の気持ちと、切ないと感じる哀愁の痛みが私を襲った。


何を期待しているんだ、私は。

わからない。

わからないから自問する。


私はあいつのことをどう思っているのか?





「…上総?」

「…ぁ、な、何?」


あの夕暮れの出来事からもう一週間が経った。


あれ以降、檜佐木とは会話を交わしてない。


というのも、事件の三日後から試験期間に突入して、私は打倒檜佐木を目標に掲げ勉学に勤しんでいたし、檜佐木もいつものように私に話しかけてくるようなことはなかった。


今回こそ負けない。

いつも二位に甘んじていた。

いや、入学試験では私は首席だった。

ただし、檜佐木と同点で首席入学が二人という、学院始まっての出来事であったが。



『…次の試験、賭けねぇか?『勝者が敗者に1つ命令できる』…どうだ?』


約二週間前に檜佐木が言ったことを思い出した。



今になって思い出せば、あいつはいつになく真剣な顔をしていた気もする。


でも、


『…負けないから』


私がそう言って、檜佐木に背を向ける瞬間、


あいつは不適な笑みを浮かべていた気もする。


自信がある。


そんな顔をしていた。


…あいつのあの自信が嫌いなんだ。

でも、あいつは自慢をしないし、鼻にかけてるようでもない。

だから、級友にも好かれているし、後輩からは羨望の眼差しで見つめられている。


…女の子のファンもかなりいるみたいだし。


あんな、細目のどこがいいんだか。


ま、確かに、長身で引き締まった体してるし、成績優秀だし、周りに信頼されてるし…


…って!

私まで何言ってんの?!


あー、もう、だめ!

あいつのことなんか考えない!


頭を思いっきり振って、私は席を立った。


「上総、どこに行くの?」

「ちょっと気分転換に外の空気吸いに行ってくる。」


友人にそう言って、部屋を後にした。


寮の外に出ると、涼しい風が頬を撫でた。


「はー…」


息を大きく吐いて、空を見上げると、一面星空だった。


「…檜佐木、か」


不意に溢れたのはあいつの名前。


思い返せば、

今までの生活であいつが出てこないことなど、一度もなかったように思える。


五年間、クラスは同じ。

一位と二位で席も近かった。

剣術ではあいつの方が優れていたけど、鬼道では私の方が評価されていた。


ライバルだと、思っていた。

友人だという感覚より、敵対心の方が強かった気がする。

どう足掻いても、結局あいつにいつも負けていた。

それが悔しくて、

いつも私の一歩先を歩く、あいつの背中を掴みたかった。

でもそれは、掴めそうで、掴めなくて

いつも、指先を掠めるだけ。


私は自分の掌をじっと見つめた。


ふっと人の気配を感じて、視線を上げれば、寮の中庭から声が聞こえてきた。


「誰かいるのかな…」


部屋に戻ろうと、立ち止まる。


「私…檜佐木先輩が好きです!」


耳に届いたその言葉に、私の足は止まった。


今…何て?


こそっと、小道の木に身を隠すようにして声がする方を見ると、


そこには、頬を染めた女子学生と…


「…ありがとな。」


優しく笑う檜佐木がいた。


……これって告白だよね?

最悪な所に居合わせちゃった。


あぁ、本当に最悪だ。


悪いことしてるつもりなんてないのに、

すごく胸が苦しくて、ドキドキするんだから。


「でも、ごめん。俺、君とは付き合えないんだ。」


静かに言われた檜佐木の言葉に、私までどきりとさせられる。


「どうしてですか?和泉さんが好きだからですか?!」


あぁ、もう嫌だ。


聞きたくなんかないのに、

どうして

足が動かないの?


足が地面に吸い付いたように貼り付いて、動かない。

早く、ここから去りたいの。


どうして?


早く、ここから、


逃げたいくせに…



どうしてなの。


足が動かないよ…



「…違うよ。」


遠くにいる檜佐木の横顔が見えた。



「俺はあいつが好きなんじゃないんだ。」



あぁ…


最悪だ。



こんな感情から


こんな現状から


逃げたいくせに…



逃げ出せずに、足を取られて、泥沼にはまってしまった。




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